【講義紹介】【宗教学】平岡聡「異端が捉える仏教の本質」

講義紹介

本記事では、以下のYouTube動画を紹介します。

【宗教学】平岡聡「異端が捉える仏教の本質」

今日は、日本人にとって非常に馴染みの深い宗教である仏教について、その思想的な部分に焦点を当てたいと思います。

仏教は一般的な常識とは異なり、常識を超えるような考え方が多く存在します。これらの考え方は、私たちの日常生活やビジネスにも役立つものです。例えば、自分の考え方を相対化するという視点があります。この動画を通じて、皆さんの人生観や世界観に少し揺さぶりをかけることができたらと思います。

仏教は約2500年前にインドで誕生しました。当時、インドの正統宗教であったバラモン教は、多神教であり、神々を喜ばせることによって人間が幸福になると考えていました。この祭祀や宗教的な儀礼、そしてカースト制度がバラモン教の三本柱でした。

しかし、仏教はこれらをことごとく否定しました。仏教は神の存在を認めるものの、その存在意義は認めませんでした。祭祀や多神教を否定するのは、カースト制度とも関連しています。バラモン教は、生まれによって人間の価値が決まると考えていましたが、仏教はこれを不公平であり、道徳を否定するものと見なしました。ブッダは、人間の不幸を決定するのは人間の意思や心、その自由意志に基づいてどう行動するかによると教えました。これによって、人間は幸せになるかどうかが決まると説きました。

仏教はまた、自己を否定する教えも持っています。通常、教祖を信仰することが多いのですが、ブッダ自身が自分の教えを否定するという点で、仏教は特異です。例えば、ブッダは「筏の例え」という教えを用いました。これは、我々が悟りの岸に向かって進むための手段として筏(教え)を使うことを意味しますが、一度その岸に渡った後は、筏はもはや必要なく、捨ててしまって良いと説きました。このように、ブッダは自分の教えさえも最終的には超えるべきものとして扱いました。

ブッダの最期の日には、彼が身の回りの世話をしていた仏弟子との会話があります。ブッダは弟子が、師匠の死後どう生きていけば良いかと問うと、「自灯明法灯明」と答えました。これは「私の教えを盲信するのではなく、自らの内なる光、自らで法を明らかにするように」という意味です。この教えは、ブッダの死後も弟子たちがどう生きるべきかを示すものであり・・・

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